dolceを考える

楽譜には様々な記号や言葉(楽語)が書かれている。f(フォルテ)やp(ピアノ)、dolce(甘い、柔らかく)、ritardando(だんだん遅く)などだ。音符だけでは伝えきれない情報を、我々演奏者にもたらしてくれる。奏者には、作曲家の意図した音楽を目指して演奏する責任がある。したがって、楽譜に書かれた記号には注意深くある姿勢が大切だ。

fやp、ritardandoは、主として音量、テンポを操作することが求められる。こうした記号は、比較的容易に聴き手に伝えることができるだろう。では、dolceはどうだろうか。

dolceは、イタリア語で「甘い、優しい、柔和な」といった意味がある。日本語でも、「甘い顔、甘い声」といった表現があるため、イメージはしやすいだろう。では、「甘い、優しい、柔らかい」音を聴き手に伝えるには、具体的に何をしたらいいのだろう。

ヴァイオリンの場合、表現の手段として、右手と左手がある。右手は弓を動かし、発音、音と音との接続、音量、音色などを操作できる。一方、左手は弦を押さえ、発音、音の変わるタイミング、ヴィブラート、音色などを操作できる。音色や発音は重なってはいるが、右手(あるいは左手)でしか変えられない領域があり、両者の住み分けははっきりしているように感じる。

これらの要素を組み合わせて、自身が思う理想のdolceな音を目指す。ここまで来てあやふやな書き方になってしまったが、こうした楽語をはじめとする楽譜に対する解釈に、個人差があり、芸術の妙があると考える。

技術や考えるプロセスは教わることができるかもしれないが、理想を描くには個人で取り組むしかない。楽譜を読み込む、歌ってみる、音源を聴く、絵画を観る、本を読む、様々な専門の人と触れ合う、など方法は無限にあり、どの方法がきっかけとなるかは、人によって、そのときの気分によって違う。

自身の中に理想の音楽を描けても、それを表現する技術がなくては近づくことはできない。反対に、技術だけあっても理想がなければ、表現としては空虚になってしまう。両者のバランスを大切にして、練習に励みたい。

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3.11

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