「後悔先に立たず」

後悔先に立たず、という言葉がある。すでに終わったことをいくら悔やんでも、どうすることもできないという意味だ。だからこそ、後悔のないように何事にも全力で取り組みなさいと諭しているわけだが、当時は気づかなかった新たな視点を得たときには、まさに後悔先に立たずといったことが起こる。

最近、ヴァイオリンや勉強を教えているのだが、毎回難しさを感じる。一番の難しさは時間だ。1時間~1時間半では伝えきれないのだ。

ヴァイオリンも勉強も20年以上やっており、その過程でたくさんの試行錯誤をしてきた。その経験をもとに助言をするが、一度伝えただけで理解してもらうことは当たり前だが難しい。さらには自身の主観的な考えを伝えても、生徒の主観には馴染まないかもしれないし、自分の意図するようには伝わらないかもしれない。

教える側をしてみえてきたのは、学ぶ側の在り方だ。これまで多くの先生に教えを乞うてきたが、きっと先生も同じことを悩んでいたに違いない。数十年の試行錯誤で至った視点に立って、語りきれない量の考えの内の、1%にすらも満たない一部分を様々言い換えながら言葉にして、伝えようとしていただいていたはずだ。

ヴァイオリンや指揮のレッスンを受けていた頃は、目の前の課題を乗り越えることに必死で、この視点がおろそかになっていた。気づいてはいたが、実感を伴っていなかったように感じる。今同じレッスンを受ければ、得るものは数倍多いかもしれない。まさに後悔先に立たずなのである。教える側としては、辛抱強く言葉を換えながらヒントを与え続けること、学ぶ側は、言葉は氷山の一角であり、その背後にある考えを探ることを心にとめておきたい。

にしても「後悔先に立たず」はどうもネガティブだ。過去があるから、それと比較して成長が感じられる。アップデートができる。今日の気づきを今後活かすことができれば後悔しない。まずは明日の授業、家庭教師を頑張ろう。

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